May 21, 2012

金環日食の日

今日は金環日食でした。
昨夜はなるべく早く寝ようと思っていたのに、蚊がいてなかなか眠れず、こんな時に限って何度も目が覚めてしまい、眠った気がしませんでした。
でも、珍しくちゃんと目覚ましで朝早く6時過ぎに起きました。

太陽が欠け始めているのが見えるのを確認し、自転車で一応出勤しました。
どこが見やすいかなあとポイントを頭の中で探しながら東に開けた場所にまず行ってみると、おじいさんが三脚を立てて見ていました。
やるねえと思いながら自販機を求めてさらに移動し、7時頃だと言うのに高校生が自転車で走って行くのを見て丘の上にある高校を思い出し、正門前に自転車を止めました。
高校の庭には先生がひとり三脚を構え、校舎の前には生徒が数人立ってフィルター越しに見てました。
ここがベストと決め、缶コーヒーを飲みながら東の空の太陽をちらりと見、くるりと向いて日食ウォッチングしている人たちも観察してました。

金環日食が一番美しく見えるベストラインから結構離れた土地にいたので、金環が分厚く、いや裸眼でちらりと見ただけなので正確ではありませんが、こんなもんだなあと眺めました。
金環日食になっていた頃は高校の校舎の窓がいくつか開いてそこから見ている人もいました。
校舎前の生徒たちはせいぜい10人程度で、女子高校生は2、3人、総じて高校生はあまり興味がないようでした。
金環日食が終わってから高校を離れて住宅地を走り抜けると、家の前で家族揃って見ている人がかなりいて、小さな子供のいる家庭や暇のあるお年寄りは楽しんでいらっしゃるようでした。

こうしてゆっくり出勤し職場でBBCとCNNのサイトにアクセスしてみると、どちらのサイトでも特集みたいになってました。
英語では金環のことをring of fireと言うんですね。
国内ニュースでは日本列島のどこで金環日食が見られるか、日食商戦はどうかということばかりでしたが、世界的に眺めると地球のどこからどこまでの帯状地域で見られるかということになり、香港あたりから太平洋を越えて米国の西部までと書いてありました。
さらにアジアでは日の出直後、米国では日没直前になります。
もうちょっと真面目に調べておけばもっと楽しめたのかもしれません。

日食は珍しくない天文現象ですが、皆既日食や金環日食は珍しいのです。
月食も同様です。
私ははっきり言えば天文現象を見るのは好きです。
一番の思い出は、何も知らずに大学の仲間で奥穂高岳に登るために穂高岳山荘に泊まった夜が月食だった時ですね。
一緒に行った男どもは登り切ってぐっすり寝ていて、体力がないからゆっくり登って夜は眠くならずに外をうろうろしていた私ひとり、他の登山客と一緒に山の上で幻想的な月食を見てました。

こんな風に書くと、星空の下でロマンチックな夜を〜と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私にその手は通用しません。
なぜなら父がアマチュア天文家のため、事あるごとに星座、流星、彗星の話を聞かされるし早起きして見ろと言われるので飽き飽きしてましたし、おかげで天文学は嫌いになっても知識は並の女性より沢山あるのです。
初対面で星座の話をして私を口説こうとした殿方がかつていらっしゃいましたが、その話でどうしたいんだい?と醒めた目で見てました。

父の専門は流星なので、日食や月食は専門外となり、父の傘から逃れられるので嬉しいのです。
惑星も専門外、ブラックホールやパルサー星も専門外、だから好きです。
天文台や望遠鏡もわくわくしますし、天文学を通り越してSFも大好きです。
父が押しつけさえしなければ私は天文学者になっていたのかも・・・物理学が苦手だったから無理でしょうね。

マスコミは日食を観察する人たちの様子を大げさに書いてますが、実際にはせいぜい2、3割の人たちが観察した程度だと思います。
私の職場は研究所なので日食は見るべしという空気があり、先回の日食は駐車場で大勢が眺めていたほどです。
今日も日食を見てから出勤してきた人が多かったようです。
幸運にも日食の時間帯は雲の切れ間があってちょうど太陽がそこにありました。
こんな立場でもあるので個人的にも大勢の人に興味を持って見てもらいたいけれど、それで商売することには眉をひそめます。

そうそう、私は金環日食でも多少は薄暗くなるだろうと期待していたのに、全然暗くなりませんでした。
もし日食だと知らなかったら気づかなかったのかもしれません。

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May 20, 2012

新しい遺伝子組み換え技術

またサボっておりました。
精神的な事情で書けませんでした。

今日のテーマとも関係するので事情を少々書きますと、5/14に開催された、日本学術会議の公開シンポジウム「新しい遺伝子組換え技術の開発と植物研究・植物育種への利用〜研究開発と規制を巡る国内外の動向〜」に参加しました。
あらかじめ目的をつかむのは難しく、実は意見を求めたシンポジウムでしたが、講演自体は興味深く拝聴していた最後になって、シンポジウムの目的が明らかにされ、私はブログに書かなければならないと悟りました。
同時に、気持ちがどよ〜んと重くなり、開催地が私の嫌いな東京だったこともあって帰途は終始ぼんやりしてました。
その翌日も翌々日も気持ちはあがらず、ようやくいつものレベルに近づいて書き始めました。
東京にいるストレスと自分に課せられた任務がど〜んとのし掛かってきたのでしょうか、たまにあることながら自分でも驚きました。
このテーマについて書くことが私の精神状態にプラスになるのかどうか甚だ疑問ですが、義務と思って書きます。

参加した公開シンポジウムの目的を大雑把に表現すると、「日本における遺伝子組換え食品に対する嫌悪感を新しい遺伝子組換え技術で作られる植物には抱かせたくない、二の舞にはしたくない。」です。
その気持ちは非常によくわかります。
日本政府が初期にとった遺伝子組換え食品の政策が、厚生省のエイズなどへのまずい対策、原子力問題とダブってしまいました。
あんなことは二度としたくない、政治家や行政マンやマスコミに任せずに研究者が先んじて対策を考えなければならないと思ったのもよくわかりました。

遺伝子組換え食品は訳のわからない正体不明の危険食品と思われているのようです。
知識ある方がtwitter上でそういう扱いをしていて、私は初めて世間の常識を知りました。
現在の私は大腸菌で遺伝子組換え実験をしているだけですが、以前は遺伝子組換え植物も作る実験をしていました。
そんな私から見ると、遺伝子組換え食品は食用でない生物のDNAを導入したことによって合成されたタンパク質とRNAは何らかの影響を及ぼすけれど、人間に悪影響がなさそうなDNAを選んでいるし安全性審査もするし、そこまで悪魔扱いされるのは心外だなあと思い、一般の方たちが持っている遺伝子組換え食品に対するイメージの悪さに愕然とします。

研究者はそういう扱いをされるのを何とかして挽回したいと思い、消費者が求めるであろう遺伝子に外からのDNAを導入しない、何らかの影響がある可能性を極力減らした技術をと考え出したのが”新しい遺伝子組換え技術”です。
つまり、DNAを導入せずにRNAやタンパク質を一時的に導入して生物の性質を変える技術や、遺伝子の構成単位である塩基をいくつか別の塩基に変換させたり塩基をメチル化することによって眠らさせたりする技術が確立されています。
これらの技術で作られる食品が遺伝子組換え食品の誕生前に消費者に提供されたならば、反対も抵抗もなく受け入れられたのかもしれませんが、消費者は遺伝子組換えを悪魔と思っている現在ではどう受け取られるのか不安でなりません。
なぜならRNAやタンパク質を導入しただけで遺伝子組換えをしていないから、なぜならごく一部の塩基だけを変換した、あるいは1遺伝子をメチル化しただけだから事前情報なしには検知できないから、一般には従来の食品と何ら変わらないのです。
でも実は・・・とわかると、拒否反応が出るでしょう。
研究者が安心できる遺伝子組換え食品を作らねばと思って開発した新技術なのに、より危険視されるなんて報われません。

世間にある日突然、新技術で作られた遺伝子組換えか、それもどきの食品が出現するよりも、新技術が開発された今、前もってお知らせした方がよいと思い、大枠を書きました。
誤魔化すようなイメージ戦略は嫌いなので、嘘や隠し事はしてません。
遺伝子組換え技術や新技術なんて気持ち悪いと頭ごなしに拒否せず、どうか原理を理解し情報を集めて考えて下さい。
お願いします。

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May 08, 2012

珍しくヒットしている映画を誉める。

私としては珍しくヒットしている映画を取り上げて誉めてしまいます。

1本目は、昨年のカンヌ国際映画祭から始まった映画賞レースを舐めつくしアカデミー賞を席巻した”アーティスト”です。
カンヌのコンペティション作品として初めて知った時、モノクロかつ無声映画で無声映画のスターを描く点に興味を持ち、逸れ以来ずっと日本公開を待っていました。
約1年越しで観られた感激以上に、素晴らしい出来に感動しました。

多くの方が書いている感想と重複しそうにない感想だけを書きますと、映画はこんな風に変遷して来たし、今後も変遷するのだろうと思いました。
冷静にこう思った理由は、私が同年代には珍しく映画館で無声映画も観ているし、昔のモノクロ映画も今の演出として選んだモノクロ映画も好きだからでしょう。
そして、一般的には歓迎されているデジタル映画の問題点を知り、3D映画も既に見直しが始まっていることも知っているからでしょう。
当然、私よりずっと映画に造詣が深く、長所短所も知り抜いたミシェル・アザナヴィシウス監督は、無声映画のスターを描くには無声映画が最適と判断されたのです。
映画の歴史を語る映画の1本にもなっていますので、映画ファンならば必見の1本と言えるでしょう。

但し、単なる無声映画もどきではなく、夢の世界のシーンでは音がしますし、ラストシーンでは声も入ります。
私はこういう演出が大好きで、ネタバレになる演出も含めてにくいですねぇと感心してました。
”ヒューゴの不思議な発明”も映画の歴史を振り返ってましたが、知識がないと奥深さに気づきにくいのとは対照的に、”アーティスト”は心に響く奥深さと言えばよいのか、無声映画を知らなくてもベタベタなラブストーリーから気づけるものがあります。
私も”アーティスト”に軍配をあげます。

2本目は”わが母の記”です。
井上靖原作の邦画を原田眞人監督がどう仕上げるのか興味津々だったので、早速観て来ました。

飽きるほど見ている役所広司の演技が昭和の小説家らしく、全く飽きることがありませんでした。
昭和のおやじは子供を叱りつけていたなあ、おじいさんになると妙に聞き分けがよくなって気持ち悪いよなあと思い出しました。
樹木希林のぼけたおばあさんの演技は自然体で、昭和の時代は誰でも歳を取るとぼけるもので病気とは思ってなかったから上手につきあっていたよなあと思い出しました。
”三丁目の夕日”シリーズとは違うニュアンスで昭和という時代を思い起こさせる映画でした。

上流階級を描いているので反感を持つ人もいますが、昭和は上流階級があったから上を目指す機運があり夢がありました。
現在は、上流階級しかできなかった海外旅行を誰でも実現できてしまい、上を目指す意味がなくなり夢も希望も持ちにくい、ある意味不幸な時代になってしまいました。

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May 07, 2012

文章へのこだわり

今日はGW明けで久々に出勤した方も多く、仕事がきつかったのではないでしょうか。
私は風邪がまだ治らず仕事がなかなかはかどりませんでした。
鼻をかみつつ事務仕事をし、咳をしながら溜まっていたメールを読み、今週〆切の案件などについて話をしたりメールをやり取りし、今週の目途が立ったところで本日の勤務は終了と致しました。
明日は自分の実験などの計画を立て、ジャーナル(科学雑誌を指す)のチェックをしなくてはなりません。
どうせ明日も鼻をぐずぐずさせているでしょうから、実験も何もできませんよ。

さて、休日はマイペースで過ごすのでほぼ不満もなくブログのネタも書く気力もないのに対して、仕事のある平日は何かしらストレスを受けるのでネタを見つけることも多く、さらに気力というか原動力を作ってくれます。
所謂、反動ですな。
今日はほぼ自分のデスクから離れず、まともな方たちからメールをもらっただけなので、反動はありません。
但し、いい歳したおじさんでポストに就いている方が書いたメールがよくわからないことが何とも苛立たしいのです。
過去のメールも見てわかったのは、この方の日本語がおかしいことと、伝えたい主旨を理解していないことでした。

私はいつも思うのですよ、小説を書くのではないからメールなどのビジネス文書は主語と述語を対応させたわかりやすい文章を書くべきだと。
ビジネス文書あるいは報告書を、専門用語を交えたり文章の流れだけで言葉を選んでわかりにくくしたりする方がかなりいます。
書き直しを命じたくなりますが、世間はそこまで思わないようで独りで苛立っていることが多いですね。
一気に読んで意味がわかる文章がベター、それに加えて説得力もしくは興味深い内容と魅了する美しい文章であればベストです。

これを信条とする私が、このおじさんの大して長くもないメールを読み返しても何を回答すればいいのかさっぱりわかりません。
こういう方にどう回答すればいいのか訊いたところで明確な回答が返ってくるはずもないので、だいたいこのくらいの回答をしておけばよいだろうと見当をつけて対応します。
メールがなってない!と怒ったところで馬鹿を見る、暖簾に腕押しなのですよ。
困ったことに、似たようなタイプのおじさんがもうひとりいるんですよ。

そうじゃない方たちがたまにポカをすると、軽く怒ってみたり厳重注意してみたりと正面切って対応します。
こっちにも許せる許せないのラインがあるのだと示しておかないと甘く見られがちなので、怖い人だと思われてもいいからつい言ってしまいます。
それをはっきり物を言うと表現されるのですが、ビジネスだから言うのですよ、私だって普段のプライベートはこんな物言いはしません。

まあ緊急事態になると周囲の人は明らかに退いてますけどね・・・フランス語しか通じないベルギーでお釣りが足らないと日本語で文句言って取り返した経験あり、米国でも高額紙幣を渡したと拙い英語で文句言って納得させた経験あり、JR窓口で文句言ったり懇願したりして主張を通せる確率は半々。

私が文章に対してはよく怒る理由は、文章で表現することにこだわりがあるからだと思います。
ビジネス文書はわかりやすくて誤解しない文章を心掛け、ブログは気持ちが伝わるような文章にしたいと思い、個人的なメールやツイートは内容はすかすかでも喋っている感じの文章にします。
もし私が話すことで表現するならば、仕事でそういう機会も多くありますし、プライベートでも機会がありますが、こだわりは持ってません。
歌うのも楽器を演奏するのも曲を作るのも絵を描くのも何かを作るのも下手なので、することへのこだわりはありません。
だから、映像をネットにアップすることには全く興味なく、ネットラジオもポッドキャストもする気もなく、私は今後もブログを続けることでしょう。
文章を書く仕事で食っていけたらいいなあと子供の頃に夢を描いていましたからね。

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May 06, 2012

天気を気にしよう。

何日ぶりでしょうか、大変ご無沙汰しました。
GWは遊ぶのに忙しくて更新しなかったと思われがち、いや私だってそう思いたいのですが、実際は風邪のため、ネットにつなぐのもイヤ、文字も読みたくない、そもそも食べられずにふらふらして寝てばかりだったので更新する元気はありませんでした。
初日だけは元気で掃除し、2日目はパソコン延命のためパーティションを外すかと思いついたものの午後から不調気味になり、3日目はイベントがあったので出かけたもののそれだけで帰ってしまい、4・5日目は治りかけと思って映画を観に行ったら6日目は完全に食べる元気が失せ、それ以降は無理するとぶり返す気がしたので自宅でおとなしくしてました。

GWにこれほど荒れた天気も珍しい気がします。
今にして思えば、あの大雨の日に外出したから風邪が悪化したのでしょう。
傘なんか差さずにレインコートを着ていけば濡れも少なく済んだはずです。
私は大した距離ではないからと油断したのに風邪だけで済みましたが、北アルプスで軽装のため亡くなってしまったご老人たちがいます。
あの大雨か翌日の強風の気圧配置のために冬山のような天気になったのかどうかは確かめていませんが、天気は甘く見ちゃいけないと再認識しました。
登山するのに天気予報を確認しなかったのだろうか、装備は整えてなかったのだろうかと当人たちの責任も感じますが・・・。

今日は茨城で竜巻が発生したようで、建物の被害もさることながらひとり亡くなっています。
自宅でも雷と共に雹が降ったのでネットで気圧配置を見て、大気が不安定な地域は主に東日本だと初めて気づきました。

私は子供の頃からテレビの天気予報をよく見ていたようで、曖昧な記憶が多い中はっきり覚えています。
同時に天気図も見ていて、学校で教わる前に高気圧と低気圧の役割を理解していました。
そんな人間ですが、天気図は書いたことがありませんし、天気図を見て具体的な予報はできません。
でも、興味はあるので時間ができたら気象予報士受験用の本で勉強したいと思っていますし、今でも解説してもらってから天気図を見てなるほどねえと自分なりに解釈しています。

そんな自分をごくごく普通だと最近まで思ってました。
ところが、ここに最多出場であろう同僚が天気に全く関心がないことを知って驚き、同時に天気図を見る人は少数派のような気がしてきました。
あの同僚のようなタイプの老人がもし登山に行ったとしたら、天気を確認せずに出かける可能性があります。
登山は経験と装備と食料と水、そして天気予報が重要と知られているはずなのに、素人だけで行ってしまうのも大問題ですが、天気を気にしない人が多い理由のひとつは車の存在のような気がしてなりません。

少しくらい寒くても暑くても、大雨になろうとも強風になろうとも、車で動いているなら何の影響もありません。
暖かい地方では雪に対しては異常に敏感ですが、寒い地方では雪すら気にしないでしょう。
電車通勤や自転車通勤だったら、そんな無関心はあり得ません。
傘が要るのか服はもう1枚要るのかなど必ず考えるはずで、それには天気予報が必要です。
地震情報や津波情報も重要ですが、常に移り変わる天気の情報も別の意味で重要なのです。
今やテレビ・ラジオ・電話で天気予報を見るだけでなく、ネットで逐次天気情報を入手できるのですよ。

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April 25, 2012

人々が列を作って投票所に並ぶ光景

暫しさぼってすみませんでした。
昨日はネタ調べをしようとして阻止され、今日こそと思っていたら追い返せない客が長居し、何とか帰宅はしましたが、調べがついていないので別の話題にします。

日本のニュースサイトはさほどアクセスしませんが、出勤した日はCNNとBBCのサイトに必ず一度はアクセスします。
ざっと見出しに目を通し、科学関連は本文を読むことも珍しくありませんが、脇に並んでいた記事の見出しが気になってクリックしました。
ちょっとした衝撃でした。

フランスの大統領選挙は真っ最中で、第1回投票では決まらなかったので第2回で決戦投票が行われます。
その大統領選の投票率が高いと書かれていて、投票所に列を作って並ぶ人々の写真に驚きました。
本文の内容はよくわかりませんでしたが、民主主義が発達している国は投票率が高いとか、米国や英国のように二大政党制ではなく、政党別投票数に応じて議員の数が変わるフランスの方が投票率が高いとか、フランスの歴史が投票を促すとか、投票が義務化されている国がいくつもあるとか、いろいろ書かれていました。
私の理解不足、調査不足で、上記の理解に間違いがあるかも知れず申し訳ありません。
但し、間違いなく言えることは、英国だってドイツだってフランスの80%には及ばなくとも70%以上の投票率が普通なのです。

なぜ日本は投票率が70%割れするのでしょうか。
フランスの投票が電子化されている様子もなく、休日が投票日ですし、投票システム自体は日本と変わりないように見えます。

投票しても政治が変わり映えしないことが気持ちを萎えさせるのではないでしょうか。
自民党がダメだから民主党に入れたのにそれもさらにダメダメで次の選挙でどこに投票したらいいのか決めかねると思うのは、私だけではないはずです。
首相は国民が直接投票して決めるのではなく、国会議員の与党党首が首相になるという制度は何とももどかしい、痒いところに手が届かないもどかしさです。

フランスは頻繁に政治デモのニュースが飛び交いますし、ヨーロッパ各国は闇の時代も経験し暗い過去も背負いながらも、闘って民主主義を勝ち取った経緯があります。
それに引き換え、日本はデモすらしようとせず、民主主義は与えられたもので、日本人が闘わずにいれば基本的人権も民主主義も自由も奪われかねないことに気づいていません。
投票はしないと決めている人を何人も知っています。
自分が投票しても何も変わらないと主張する人、政治には関わらないと決めている人、投票を人気投票と勘違いしている人・・・。

フランスの大統領選挙のために投票所に列を作って待っている人たちの写真は、途上国で史上初めて選挙をする投票所の光景とダブりました。
自分たちの票で国を変えるという決意が写真から溢れ出ていて眩しいばかりです。

日本でもとにかく自分たちの手で国を変えてみせるという選択をして欲しい、一度や二度間違えてもいいから選択をして欲しいのです。
私の父母も祖父母も投票するのが当然と考える人たちでしたので、ただ一度うっかり忘れて棄権したことを私は恥と思ってます。
海外に長期滞在して投票が不可能だった時は仕方ないと諦めましたが、可能な投票は何らかの形で必ずします。
私は政治に関心を持ち、正しいと思えばデモも反体制運動も厭いません。
それが国民として当然であり正しい行動だと思いますが、せめて投票という日本で政治に関われる唯一の権利を多くの方に放棄せずにしてもらいたいものです。
日本社会で負け組扱いされている人たちこそ投票して意志を選挙に反映させるべきなのです。

選挙制度や政治制度を変革すべきですが、当人たちが変革を望んでいないので当分は無理です。
そこを揺り動かすのは国民であり、マスコミが情報操作できない選挙で変革を促すべきです。
今は国会議員を信用できませんが、だからと言って無視していてはのさばるばかりです。
次の選挙で自分の一票を入れましょう。

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April 20, 2012

現実を映し出した映画

”サウダーヂ”という映画を知ったのは結構前で、山梨を舞台にした映画ってどんなだろうと想像してました。
2時間半以上ある長い映画を飽きることなく観ました。
心にずしりと残り、今でもまだ思い出しては考えることがあります。

観てもらわないとわからない映画でしょう、似た映画が思い浮かびません。
日系ブラジル人が大勢やってきていた頃の山梨甲府市で、社会の底辺に出稼ぎの日系ブラジル人、出稼ぎのタイ人女性、土方の日本人、怪しげな商売を始める日本人が蠢き、シャッター街でそれぞれが向かう先が描かれます。
今はまた状況が変わっていますが、根本的な問題は同じはずです。

監督も答が見つからないようですし、どうしたらいいのか、答は誰も見つけていないのでしょう。
日本でひっそり進行している現実であり、根本的な問題があり、これらを解決したいけれど、誰も解決できていません。

観終わって同じような気持ちになった映画が”明りを灯す人”でした。
キルギスを舞台にした映画で、たしか監督が主演も務めています。

昔は栄えていた村が今はもう仕事もなく、土地だけはあるから売って仕事を作ってもらおうという流れができていたが、町長は魂胆を見抜いて阻止しようとしていた。
電気技師の主人公は、金がなくて電気代が払えない人のために電気を盗んだり、風力発電で村民が皆、電気を使えるようにしたいと夢を語ったりしていた。
村民に親切にしたり村民から信頼されたりしている主人公はあちこちから声が掛かり、あちこちに顔を出す。
次第に人々の本性が露わになっていく。

ネタバレになるのでこれ以上書けませんが、こういう村は世界中にいっぱいあるだろうし、どうにかできないものかと思ったものの、私には答が見つかりません。

今後、現実を映し出したような映画は多く作られていく気がします。
シネコンでは上映されにくいけれど、ミニシアターで上映していたら勉強だと思って観て下さいね。

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April 19, 2012

DNAからわかるあんなことやこんなこと

何ですかね、過激なことを勢いでつい書いちゃうとツイートしてくれる方がいて、それを見てこのブログにアクセスする方がいて、アクセス数が増えるのですよ。
こんな現象は昨夜で2回目です、続くのは今日いっぱいかなという見通しです。

過激な現実批判ばかり書くブログと映画のブログとアルペンスキーのブログに分けた方が目的がはっきりしていいのかも、という考えがちらりと頭を過ぎりましたが、それはきついので即、自分で却下しました。
以前はもうひとつブログを書いてましたが、自然消滅しちゃったのでブログはひとつで十分です。
一瞬で考えることが変わる現実があるのだから、日毎に書くネタがころころ変わる方が自然です。

ならば、今日は何について書こうか迷いました。
紹介したい映画はまだあるけれど、最近気になったニュースについて書かない訳にはいきません。
DNAがキーワードになります。

ごく最近目に留まったニュースのひとつが、Natureサイトに載っていた中国の漢方薬の成分の記事です。
以前、漢方薬に毒物が含まれていたという結果が発表されたことがあり、成分表示は滅茶苦茶で信用ならぬという話もある一方で、漢方薬は重宝されて中国からの輸出量が増えています。
そこで、オーストラリアのMurdoch大学のMike Bunce氏は次世代シーケンサーを使い、漢方薬に含まれるDNAの塩基配列を次々と読んではデータベースで検索しました。
この技術は"deep sequencing"と呼ばれ、既に雑多な混入物に対して使われているそうで、私は全く知りませんでした。

塩基配列決定はスピードがどんどん上がって速くなり、費用もどんどん安くなっているので、遺伝病が疑われる患者や、遺跡から発掘されたヒトや疫病の原因ウイルスのゲノム配列も決定され、今までわからなかったことが判明するようになりました。
しかし、多くの生物が混ざったものをサンプルにしてそれぞれの塩基配列を決めることができるなんて驚きでした。

さて、まず発ガン物質を作る植物のDNAが見つかりました。
つまり漢方薬を飲んで健康になろうとしたら逆に病気になるケースもあるのです。
そして、成分表示に書かれていない動物のDNAも見つかり、さらには絶滅に瀕している種や絶滅が危惧される種もありました。

日本人は西洋医学に世話になりながらも、漢方薬や鍼灸などの中国伝来の東洋医学も当てにしています。
漢方薬の薬効成分の研究も盛んで、中国からの原材料入手が難しくなると困るので薬用植物の培養も手掛けています。
そちらは極めてまともなのに、肝心の中国輸出の漢方薬がこれでは信用を失ってしまいます。
成分がはっきりしている西洋医学の医薬品がやっぱり信用できるということになってしまいます。
中国が自滅するのは自由にやってもらえばよいのですけれど、日本の漢方薬屋さんや東洋医学の方たちが煽りを喰らうのは許せません。
Bunce氏はオーストラリア政府はdeep sequencingを採用して漢方薬を検査したらどうかと考えているそうで、私も日本政府に考えてもらいたいです。

なお、上記の結果はPLoS Geneticsに発表されています。

もうひとつ目に留まったのがBBCサイトに載っていたスコットランド人のDNA解析の記事です。
約1000人のDNAをどうやらPCRを使って解析したようで、DNAマーカーがどうのという記述があります。

スコットランド人の男性先祖はヨーロッパ周辺由来の約100人で、女性先祖はヨーロッパ、アジア、アフリカ由来の150人以上だとわかりました。
個人名を挙げて、この人の先祖にナポレオンがいるだの、この人の先祖は奴隷で主人の奥さんと情事があったに違いないだのという記述には眉をひそめましたが、全体としては大変興味深いプロジェクトです。
このプロジェクトScotland's DNAはBritain's DNAと名称変更してイングランド人、ウェールズ人、アイルランド人についても同様の解析をするつもりのようです。

こういう解析は日本で可能でしょうか。
匿名ならば皆さん協力してくれるでしょうが、実名を出されると多々困ることが公になりかねないので誰がどうのという記述はあり得ないでしょう。
自分の先祖に中国人がいただの韓国人がいただの・・・嫌がる人も多いはずです。
ハポン姓を持つスペイン人のDNA鑑定が近々行われて、日本人の末裔かどうかがわかるかもしれない、それはいいですよね、歴史に参加するようで夢があります。
例え浮気で生まれた先祖がいても、慶長遣欧使節のひとりとスペイン人なら許せるんじゃないかなあ。

個人的に最もゲノムDNAを解析してみたい人たちは代々の天皇です。
天皇家の性染色体Yを未来永劫引き継ぐことが最重要事項と考える方たちの鼻を明かせるかもしれないので、何代目かの天皇が埋葬されているとわかっている天皇陵に残っている骨を解析して本当にY染色体が引き継がれているのかを知りたいのです。
天皇制を廃止せよとか、女系天皇を認めろとか、そういうことを主張したいのではなくて、単にYにこだわる人たちを黙らせたいだけです。
まあ、未来永劫、日本国が存続する限り天皇のゲノムDNA解析は無理でしょうけどね。

今後はDNA解析によってアイデア次第でいろんなことが明らかにされるでしょう。
さて、何を知りたいですか?

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April 18, 2012

もうひとつ足らない気がする洋画

GWが迫って来ました。
職場でもGWはどうする?という話になります。
人が溢れる時と場には行かないことが信条なので、できるだけ引きこもっていようと思ってますが、根が外に出たがりなので、引きこもりにも限界が・・・結局出歩いているかもしれません。
まあ、GWの映画は洋画が大作、邦画は子供向けと相場が決まっているので、映画はミニシアターに行くでしょうけど。

今日も映画、洋画の話題です。
面白かったけど改めて振り返るともうひとつ足らない気がする映画です。

”ヤング≒アダルト”はジェイソン・ライトマン監督作、シャーリーズ・セロン主演、そして主人公は大人になり切れないバツイチ女性と聞き、興味津々で観に行きました。
始めはキティのジャージを着て大学生みたいな気ままな生活をする女性に、日本にいっぱいいるあの手だなあと突き放して観てました。
おまけに思い込みが激しくて自分が世界の中心なのです。
シャーリーズ・セロンは役者根性があるというかさすがの演技力なのか、なり切っているところがすごいです。
ところが、彼女が故郷にいられない気持ちが何となくわかると、次第に自分にもこういうところがあるのかもしれないと考え始めました。
でもねぇ、ラストシーンを卒業と捉えればいいのか開き直りと思えばいいのか迷ってます。
個人的には大人になり切れない精神をもっと掘り下げて描いて欲しかったです。

”ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜”は米国でじわじわと公開館数を伸ばして遂にアカデミー賞作品賞にノミネートされた映画なので、必ず観ようと思ってました。
監督はまだ長編2作目のテイト・テイラー、主演はジェシカ・チャステイン、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー、ブライス・ダラス・ハワード、エマ・ストーン(クレジットで出た順のはず)です。

黒人女性は上流家庭のお手伝いをするしか仕事のない1960年代の米国南部を舞台に、黒人が常に虐げられる状況に疑問を持った作家志望の上流階級の若い女性が危険を犯して黒人女性に取材し、黒人女性も勇気を振り絞って立ち上がる様子をユーモラスに描いてます。
映画賞で受賞・ノミネートされたように、ジェシカ・チャステインとヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサーの演技が光ってます。
彼らの演じた役があるからこの映画が成立したようなものなのです。
作家志望の女性を演じたエマ・ストーンは矛盾した自分に気づいた時の表情などが今ひとつで残念でした。

深く感動できるヒューマンドラマにも思えるし、表層だけを楽しんでコメディにも思える、なかなか良い出来です。
また、原作がキャスリン・ストケットの同名作で、劇中に出てくる本も同名なので、二重三重に重なって見える映画です。
でも、私は妙なところに気づいてしまいました。
上流階級の白人女性は満足に家事もこなせなければ育児もできず、男性からは差別を受けているのに、黒人女性を蔑視し物扱いするのはなぜでしょうか。
黒人女性は家事も育児も完璧なのに、夫に暴力を振るわれたり白人からは差別されたりするところから立ち上がった歴史があるのに、現代の黒人は格差を甘んじて受け止めているのはなぜでしょうか。

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April 17, 2012

研究はロックだぜ

例の携帯電話に届く迷惑メール、間違いなくエロメールですが、昨夜から届くわ届くわ。
眠かったので拒否設定をせずにおいたら20通以上来てしまい、今朝出勤してしばらくドメイン拒否の設定をしてました。
そのおかげでその後に来た迷惑メールは1通だけです。
同じドメインから沢山届く傾向があるので来たら即、拒否設定すべきですよ。

さて、今日はまとまりのない話になることは必至なので、あらかじめお断りしておきます。
このブログと長くお付き合いして下さっている方はよくご存じでしょうが、私は流行に乗らないというか乗れないひねくれ者なので、どうにも理解のできない出来事が世の中には多過ぎて困ります。

例えば、複数の人に3種類の飲み物を渡してひとつだけ味の違う物を書いてくれという調査をしたとします。
調査をする側はどのくらいの割合で当たるかを知りたくてその意思は伝わっていても、頼まれた人たちは当てる当てないという正解探しを始めます。
下手をすれば多数の答に合わせかねません。
空気を読むのもいい加減にしろ、というかそんな場で空気を読むべきではありません。

ランキングやアンケート結果をネット上でよく見ます。
母体数の小さい、サンプリングに疑問のあるアンケート結果は意味がないと思うので流してしまいますが、映画やダウンロードのランキングなどは果たして意味があるのか?と思う反面、その数字に流されそうになるのも確かです。
中でも映画のヒットランキングは興行収入など一切公開せずにランキングだけなので、ランキングが一人歩きしがちです。
穿って見れば、ランキングを発表すればそれが広告になると思っているからでしょう。

レンタル屋に行くと韓流ドラマの棚がずらっと並んでます。
その理由は韓流好きの女性が多いからと言われます。
ドームや野外でのコンサート帰りの人たちを観察すると、ジャニーズ系タレントの客はおばさんが多いのです。
先日目撃したEXILEの客もおばさんが多く、友人にそうメールしたらあれもジャニーズと変わらないと返信が返ってきました。
当人たちは否定するでしょうが、本当にジャニーズ系タレントが好みなのか怪しいものです。
私には、たまたま目にして気に入っただけ、もしくは何かに燃えたいから手近にあった物に飛びついただけに見えちゃいます。
かつて中日ドラゴンズのファンをしていた頃、ナゴヤドームに行くと、騒ぎたいだけの客が多くて困りました。
これも何でもよかったけれど手近なドラゴンズだったに違いないと思うのです。
自分の中にある感情をどこかにぶつけたいだけならよいけれど、皆が盛り上がっているから私も何か・・・これくらいなら何もしなければよいのに。

日本人は横並びが大好きで、出る杭は打たれると言われます。
ひとりだけ反対はできない気質の持ち主が多いので、組織内ではさらにその傾向が強化され、皆がそうするなら私もとなり、そうしない人は変わり者のレッテルが貼られます。
もしトップの命令に従わない人が現れたら、その命令が人間として間違っていようと法律違反だろうと何だろうと村八分扱いとなります。

実は今、職場でおかしな指令が出ており、皆おかしいと感じつつも指令だからと次第に従いつつあります。
文書にそう書いてあったからと馬鹿正直に従う姿すら私にはおとなしい羊に見えるのですが、さらに自分で規制を加えて従順な羊になり下がっているのが残念でなりません。
そういうのを自主規制と言うんだよ、マスコミがやっている悪習なんだよと私は思うのです。
かく言う私は羊の皮を被った狼、いや隙を窺う猫なので、抜け道を探してチェックが入った時にすぐ対処できるようにしました。

まあ、一般人ならばここまでは許します。
しかしながら、私たち研究に携わる科学者は前例に従って仕事をするだけではいけません。
過去の知見を覆すよぅな発見をすることが研究者の理想の指命であり、覆すには至らなくても例外を見つけたり新たな発見を付け加えたりすることが指命です。
それなのに、トップから指令が出たからそれに従うまでというのは情けない、いやそんな精神で研究ができるのかと問いたくなります。

研究者、科学者というのはある意味開拓者であり、音楽ジャンルに例えるならロック、芸術なら前衛だと思います。
過去の知見を壊しては新たに知見を積み上げ、研究は連綿と続いて科学は進展します。
この姿勢と日本人の気質、日本の組織体制とは相容れないように思えてなりません。
もちろん研究に何ら規制がない訳はなく、沢山ある法的規制を知って研究を進めなければなりません。
しかし、それ以上に自主的な、あるいは無意識の規制をかける一方で、正反対の気持ちで研究をバリバリとできるのか?と自問自答すると無理だろうという答しかできません。

まあ、日本のロックは反体制的ではなく、ラップも反社会的ではないので、端っからほとんどの日本人には本物の研究は無理なのかもしれません。
でも、私はロックをする如く研究をしてやるといつまでも鼻息荒くいたいものだと思います。
Let's rock'n roll!
(注:現実の私はジャズが大好きで、演歌は大嫌い、クラシックとロックとラップは概ね遠慮します。)

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