登山とは、
TBSラジオ番組”アクセス”で、先日の大雪山系での遭難を基に議論しているので私なりに考えを書いてみようと思います。
当日の大雪山系での天候は悪天候そのもの、最近観た”剣岳 点の記”(剣の漢字は本当は旧字である)の1シーンを思い出しました。
映画の中では無事救助されますが、実際には遭難していると私は思いましたから、もし私がその時の大雪山系にいたら行程を止めてますね。
ええ、私は登山大好きで、大雪にも登ってみたいと思ってますが、北海道の山はいつがベストシーズンなのか見極められないし、もし天候が悪化したらとんでもない状況になるのはわかりきっているので、行こうと思い切れないんです。
その大雪に今の時季に登るのはどうなのかなあと素人ながら思います。
登山が危険ならするなと仰る方はいらっしゃるでしょう。
登山が好きな者として言わせてもらえば、自然の中を歩く延長に登山はあると思うし、スリルを求める対象のひとつだと思うのです。
安全な登山ができるように環境を整える方法もあるとは思いますし、実際に多くの登山道には案内がついていて、階段や手すりや縄梯子や鎖などが備えられているところもあります。
しかし、米国で経験しましたが、登山道を舗装した山は全く魅力がありません。
苦労し、考え、体力を使って登り切った時の達成感がなくては何にもなりません。
日本みたいにある意味自己責任で登山させてくれる自由は、米国にはありませんでした。
あれでは観光地です。
登山を自分で考えて行動するものと捉えるならば、天候を考慮して中止するのも登山の一部をしたことと思うのです。
私がする登山は、日本アルプスから低山までと言ってみれば何でもよく、楽しみも頂上に立つだけでなく風景や木々、動物、虫を見ることにもあります。
現に夏休みを利用して山に行こうと計画し始めていて、今回は山の中に籠もりたいと考えています。
携帯電話がつながらずテレビが見えず、たまに人に会ったら挨拶する環境に浸るのが目的です。
静かなトレッキングもしくは山の散歩程度ですね。
自分に合った山の楽しみ方があると思います。
そう書いておいて何ですが、一番の敵は現代の情報網だとつくづく感じます。
学生で登山に行った頃はニュースなんて何日も知らなくても平気だったし、誰とも連絡が取れなくても当然だったので、山を満喫していました。
今の私は9.11以降ニュースをチェックするのが習慣となり、ケータイを持ちネットにつながるのが当たり前になっていると、山に何日もいるのは不安を感じます。
頭では情報を入手しなくても平気だとわかっていても、心は求めてしまいます。
時代もあるでしょうが、いつの間にか情報中毒になっている自分が残念です。
見方を変えると、情報が溢れているから素人が気軽に登山しちゃうのかもしれません。
私にとっても多くの人にとっても、いろんな意味で現代の情報網は敵ですね。
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