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October 12, 2023

7月の闘い

今日は以前の更新で触れた”7月の闘い”について書きます。
これを簡潔に紹介すれば、私の映画館閉館に対する反応です。

私の映画遍歴はかなり遅くに始まりました。
大学生になった始めの2年間は名古屋まで通学し、家族に気兼ねなく同級生の目も気にせずあちこち見て歩くことができるようになりました。
家族の誰も映画に興味を持っていなかったため、子供の時に映画館に連れて行ってもらった記憶もなく、映画はテレビで見たことがあるだけで学校でもさほど話題になることもなかったけれど、クラシック映画やテレビで話題にされる映画の名前くらいは知ってました。
時間を作っては若い子っぽくファッションや友達作りや食べ物などいろいろやってみるうちに、誰もが知るような名画が名古屋駅近くの映画館で上映されていると情報誌で知って一人で行ってみたら痴漢に遭ったり、友達に誘われてなぜか「キリング・フィールド」を観に行ったり、星ヶ丘の三越の映画劇場で奥様たちに混ざってだらーっと観てたりするようになりました。
正直言ってどれが先か後か覚えてませんが、大林宣彦監督の所謂尾道三部作以外の映画を観たいと思って名古屋駅裏のシネマスコーレに行く一方、第二外国語のフランス語教授の勧める「カリガリ博士」とやらを観に名古屋シネマテーク(年代が合わないとシネマテークの方に言われたが)にも行きました。
いつの間にか本人も気づかず映画にはまったようですが、映画館通いに誰も気づいていなかったようです。

この学生時代は通学期間の後に下宿期間もあったので、ロードショー公開も、数スクリーンある映画館(シネコンという言葉はまだなかった)の小さなスクリーンにも、一般向けの上映会にも行き、映画ならどこでも一人で入る度胸だけは身につけました。
萩本欽一さんの舞台挨拶に出くわして萩本さんを好きになったり、待っている空間や時間は学生の外の世界を覗き見ることができました。
テレビでドラマを見ているのとは違う世界を覗くことに魅了されたのでしょうか、それとも映画館という空間に居心地の良さを感じたのでしょうか、そこはわかりませんが、金はなくとも本数は少なくとも楽しんでました。
普通の趣味として映画が好き、と学生時代の終わりには言ってました。

紆余曲折あって社会人になってから、シネコンは米国でいち早く経験し、先行公開に行って優越感も味わってましたが、どうも物足りません。
静岡県では主に静岡市と浜松市で観ていて、時には情報誌ぴあで調べて上映館を求めて遠征したり、出張や旅行のついでに各地の映画館に行ったりしましたが、その頃の言葉では単館系の映画を求めるようになりました。
単館系映画でもぴあを利用して、単館系映画館を探したり有志による上映会に行ったり名古屋まで遠征したりするようになりました。
しばらくして、静岡市にミニシアターができたぞ、浜松市の映画館がミニシアターになったぞと映画文化の乏しかった静岡県も活気づき、静岡市のシネギャラリーと浜松市のシネマイーラに頻繁に行くようになりました。
この頃の2館は単館系ではあってもまだまだメジャー路線の上映だったので、名古屋遠征を度々して名演小劇場、名古屋シネマテーク、シネマスコーレに行ってました。
ゴールド・シルバー劇場も好きで、単館系としては穴場のピカデリーにもたまに行きましたし、キノシタホールは最後まで愛用しました。
しかし、何と言っても一番多く行き、上映作が好みだったのは、名古屋シネマテークでした。
ここまでに達すると映画ファンと公言することに躊躇し、話題を振られない限り言わないか並みの映画ファンのふりをするようになりました。

時代の変遷で情報はぴあからインターネットへ舵を切り、上映作と上映館の検索だけでなく、国内外の情報を入手し、俳優や監督らのことを知り、映画にますますはまり込みました。
知ると映画が面白くなるから調べてしまい、知れば知るほど面白くなりまた調べるサイクルに入ったようでした。
もはや映画の話題を自ら他人に振る真似はしなくなり、かと言って同類を見つけるのも恐ろしく、ただただネットで一方的に語るだけになりました。
私にはそれが合っているようです。

さらに時代は変遷してSNSで情報が映画館から直に流れるようになり、シネマスコーレの坪井さんがテレビに出演したり映画になったりしてスタッフの顔も覚えるようになり、名古屋のミニシアターにはますます親しみを持ちました。
シネマスコーレは若松孝二監督が作ったので経営は続くのかと危惧していたら急逝されて大慌てをしたり、名古屋シネマテークの支配人だった平野さんが亡くなったり、いいことばかりではありませんでした。
それも映画館やスタッフに目が行くきっかけだったようです。
コロナ禍ではミニシアター救済に協力し、静岡、浜松、名古屋以外のミニシアターの支配人の名前も少しだけ覚えました。
旅行先でミニシアターに入ってみるとどこも個性があって楽しく、閉館すると聞いて逆にミニシアターに行くついでに観光したこともありました。
映画だけでなく映画館も好きなんだと自覚し始めました。

映画祭には長い間あまり興味が持てずにいましたが、レンタルして観た「バックドロップ・クルディスタン」の特典映像で山形国際ドキュメンタリー映画祭の表彰式を見て俄然興味を持ち、思い切って行ってみたら学会の年会みたいで大ファンになりました。
そうなっても、他の映画祭は観たことのある映画ばかり上映していたり、運営に眉をひそめたりする結果になるので、好きではありません。
映画を上映すれば何でもいいってものではないと思ってます。
映画館以外での上映会も好きではなく、客席に傾斜がついてなくて見づらいことと客が映画館慣れしていないことに苛立ちます。
映画館を離れた映画上映は場合に依ります。
今年は山形国際ドキュメンタリー映画祭が4年ぶりのリアル開催となり、私は6年ぶりに山形へ行って来たところです。
会場は映画が見やすいところを選んでいますし、参加者は国際色があり、上映される映画はまだ評価が定まってなく、監督に質問ができることもある点はやはり魅力的でした。
私は映画を通して、自分を見つめる、世界を見る、社会を考えることができる点が好きで、映画は単に好きではなく不可欠な存在になっています。

時間は前後しますが、このように充実した映画生活を送っていたところへ、名古屋シネマテークが今年7月に閉館するという知らせが流れたのは5月だったでしょうか。
名古屋シネマテークが選んだ映画なら観る価値ありと思い、東京や関西に行かなくても意味ある映画なら名古屋シネマテークが上映してくれると信頼し、ずっと年月を重ねて共にあるものと、移転はあってもずっと通うものと思っていただけに衝撃でした。
また、3月に名演小劇場が休館したばかりだったので衝撃は不安を伴って増幅しました。
Twitterの私のタイムラインでは嘆くツイートが並びました。
ずっと共に生きていくつもりだったのに、これからどうしたらいいんだ?と、今までと変わりなく通いながらも気持ちはおろおろと大きく揺れ動いていました。
最後の7月の月間スケジュールが発表され、特別プログラムを組むと知り、どうすべきか迷いました。
やはり閉館までできる限り行くぞ、せめてもの恩返しであり悔いを残さないやり方だと思ったのでそう決意しました。
ここから私の闘い、7月の闘いは始まりました。

ご存知の通り、7月になると気温がぐっと上昇します。
名古屋は事実上の盆地、かつ都市化しているので、例年なら夏は近寄りたくありません。
私の場合は静岡県からの遠征なので交通費をケチって鈍行で長時間移動し、列車に乗車している間は冷房が効いているので苦ではないのですが、むしろ最寄駅までの往復や待ち時間や移動時間が体力を奪います。
仮に新幹線や車で行ったとしても同じです。
それなのに、6月は3回、7月は4回の名古屋遠征をしました。
あれは身体的にも精神的にも闘いでした。
通常なら遠征回数を抑えるところをフルスロットルかけたので夏バテでダウンするかもしれぬと覚悟しましたが、サラリーマン生活から脱していて制約がなかったせいか夏バテもさほど酷くなりませんでした。

名古屋シネマテークファンの気持ちはTwitterを通して知り、私と同じように悲しむ人が多かったので、閉館直前は異様に混むだろうと予想してましたが、実際は予想以上の混みようで、最終週に行った時は札止めになる回もありました。
いつもなら撮る人はいなかったスクリーンや椅子や上映室まで写真に収める人がいて、私も記憶から消えることはないけれど撮りました。
私たち客よりもスタッフの方が辛いんじゃないかと思い、いつも顔を合わせているスタッフが閉館を決めたのではないと知っていたので、皆さんも穏やかに感謝の気持ちでいっぱいになり、社会変化を恨みつつ閉館の7月28日を迎えました。

その後、支配人だった方のツイートを読んで、私たち客は支配人の人生を犠牲にしていたのかもしれない、甘えていたのかもしれないと思うようになりました。
代表だった方の閉館に至った経緯も読み、経営上の判断と個人的な考えがあっての閉館だったのだなと知りました。
そこは関係者との相談があっても良かったのではないかと恨み節も言いたくなりますが、やめておきましょう。

休館した名演小劇場は不定期に上映会を開いていて一度だけ私も行きましたが、それが最後の上映になるかもしれないとのことでした。
京都では京都みなみ会館が9月末で閉館しました。
それらも残念ですが、名古屋シネマテークの閉館は残念以上の思いが今でも溢れてしまいます。
不意打ちのように名古屋シネマテークの話題が出たり映像や画像が現れたりするとうろたえてしまいます。
あれから名古屋シネマテークのあった今池近辺には行ってません。
失くなったことに対峙する覚悟がまだ持てません。

映画を観るだけならミニシアター系の映画は今では静岡市や浜松市で相当数観られますが、私が最も惹かれるマイクロ級の上映作をどこで観ればよいのかまだ決めかねています。
時間と金と体力が許すのは名古屋までだったのに、横浜か東京か京都か大阪か、それとも配信に流れるかが決まりません。
多分そこはいつか妥協できるでしょうが、名古屋シネマテークという信頼の置ける映画館を失ったことはどうにも埋められない気がします。
喪失感と呼んでよいのでしょうか。
映画館への愛はとりあえず静岡市のシネギャラリーと浜松市のシネマイーラに注いでいますが、喪失感は拭えません。

やっと涼しくなった10月の今、閉館に抗ったのか見送っただけなのかわかりませんが、暑い7月に闘ったことに後悔はありません。
名古屋シネマテークは大きな存在でした。
41年間ありがとうございました。
名古屋に残るシネマスコーレはもちろん、伏見ミリオン座、センチュリーシネマ、大須シネマに今後も足を運びますが、どうしても回数は減っています。
名古屋以外のミニシアターにも行くでしょうし、足腰が弱ったら配信に頼るかもしれません。
それでも、どうあっても、私の映画愛は消えないと確信しています。

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