「ザ・クリエイター」は何?
今日は珍しく映画単体の感想を書きます。
今作は「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」のギャレス・エドワーズ監督が監督・脚本・製作を務めているので、あの映画の監督ならば期待できるし、予告を見ても久々のSF映画として良さそうと判断して観ました。
設定はなかなか良く練られていました。
2075年の未来、AIが人間の能力と同等か凌駕し始めた頃、ロサンゼルスがAIによって核攻撃を受けた。
その結果、米国はAIを排除したが、ニュー・アジアはAIとの共存を選び、米国から敵視される。
本設定は、AI技術が実用化された現代から未来を予測し不安視した方々が作った安易なアクション映画よりも遥かによく考えられているSF映画と歓迎しました。
しかしながら、歓迎の気持ちは数分間も持たずに砕かれました。
米国大統領と思われる人の演説にニュー・アジアは敵ではないというニュアンスがあったはずなのに、上空から強烈な光線で地上をスキャンし戦闘能力を持つ飛行物体Nomadが爆弾を投下するシーンが続いたからです。
そして、幸せそうにアジア系の妊婦をいたわっていた黒人男性ジョシュアがスパイとバレると電話していました。
この時点で訝しく思いました。
なぜなら、ニュー・アジアの位置を示す地図を現実に当てはめると、ベトナムよりも西のカンボジアかタイ付近を示していたし、ジョシュアがいた場所はアジアのリゾート地っぽい海岸だったからです。
これはベトナム戦争の映画なのか?
ジョシュアは負傷して米国に帰り、もうこりごりだという表情で現れるが、軍の人間は甘言で勧誘する。
ジョシュアはパートナーだったアジア系女性か爆弾投下に巻き込まれたのを見て死んだと確信しているのに、軍は目撃情報を餌に協力せよと迫って来た。
男性は一縷の望みを賭けて攻撃に参加、正直言えば米国のことなどどうでもよくて一目会いたいだけだが、軍はしめしめ勧誘できた、これで敵の首謀者であるクリエイターを殺せると思っていて、この食い違いが後の展開に鍵となります。
しかし、この展開は使い古されているパターンです。
ニュー・アジアに入り込んでからのシーンが実に奇妙に見えました。
水田や僧などの東南アジアらしい風景に、未来的なビルやAIとシミュラント(AI頭脳を持つ人間)の部隊が配置され、文字は日本語だからです。
そんな風景は絶対に存在しません。
ニュー・アジアの攻撃部隊の指揮官に渡辺謙が出演しているので、ニュー・アジアという国は現実のアジア各国の合同という設定なのかも知れません。
でも、米国のシーンは現実に沿った風景なのに、ニュー・アジアのシーンはほぼすべて非現実的でしたが、観客としては農村に落とされる爆弾のシーンだけでもベトナム戦争映画を観ているような既視感があります。
おまけに、米国の軍人は白人、ヒスパニック、黒人といたはずですが、生き残って残忍な指令を出すのは従来通りのごつい男性と白人女性です。
人種差別の意識が根底にある、意図してか無意識かは別としてもそんな演出と感じて一歩退いて観ていました。
また、話が転がってからはずーっとアクション映画でした。
最初の設定のAI云々はもはやどうでもよくて、ジョシュアは自分の子供を想起させるシミュラントが米国の狙うクリエイターかも知れないけれどもひたすら守り、それはニュー・アジアに寝返ったことになるので、米国側はとにかくニュー・アジアを攻撃していました。
物語がどう展開したのかはよく覚えていませんが、ジョシュアが生き残ったのでニュー・アジアが一応勝ったのでしょうか。
きっと私はアクション映画に興味がなくて戦争の勝ち負けはどうでもよくなったのでしょう。
AIとの共存の問題はどこへやら、ロスへの核攻撃はヒューマンエラーでそのミスをAIのせいにしたという台詞は出て来るもののそれ以上の追求はありませんでした。
結局はアクション映画を作りたかった人がAIを利用した安易な映画に過ぎないと思います。
個人的には平凡なアクション戦争映画であり、ベトナム戦争を見ているような人種差別的な意識を含むと思います。
監督は日本語や日本のアニメに影響を受け、ロケ地としてタイが良いと選んだと発言していますが、東南アジアと日本の人たちが見ると非常に居心地の悪い映画になっています。
それ以外にも、2時間半の上映時間なのでアクション映画を観たい人には勧められますが、SF映画を観たい人には勧められません。